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新卒募集!(Web系プログラマ、オープン系プログラマ、アプリ系プログラマ、システムエンジニア、業務系プログラマ、Java)

仕事内容 【企業PR】
・東京事務所(最寄り駅:東銀座駅)をH24年に開設しました。
・懇親会や社員旅行、飲み会など社内イベントが豊富
・25年の実績があり、現在活躍しているのは若手

【社長からのメッセージ】
東京はまだ事務所開設3年目です。
社員も6名です。
一緒に東京事業所を大きくしましょう。
求める人物像 明るく元気で挑戦意欲のある人。
自主的に何に対しても積極的にチャレンジしていけるような人。

募集概要

求人No. R0515
職種 ITエンジニア(プログラマー・SE) / ITエンジニア(インフラ)
求職者区分 新卒
雇用形態 正社員
就業場所
応募資格 大卒【文系】 / 大卒【理系】 / 短大専門卒【文系】 / 短大専門卒【理系】
プログラミング経験の必要性 全く必要ない
契約期間 無し
研修 有り 
募集人数 2名
給与 月給200,000円~
休憩時間
時間外労働 無し
諸手当等 昇給年1回、賞与年2回
試用期間 3ヶ月
勤務時間 9:00~18:00
加入保険 社会保険 / 厚生年金 / 雇用保険 / 労災保険
労働条件 週休2日 / 土日休み
選考フロー 面接、適正試験、算数試験
必要書類 履歴書、成績証明書、卒業見込証明書
採用実績 無し

職へのこだわり

事業内容 情報システムサービス
代表者 木村 公一 
資本金 2,000万円 
社員数 33名(男性25名、女性8名) 
平均年齢 35歳 
平均勤続年数  
離職率  
男女比  
創立 1988年 11月 01日 
本社所在地 大阪市淀川区西中島7-8-34  第2スエヒロビル 
最寄り駅
沿革 1988年11月 株式会社ナレッジソフトウェア設立
(日本コンピュータコンサルタント株式会社内の一部に事務所開設)
1988年12月 PCパッケージソフト「マンション資金計画表」開発、販売
1989年05月 住商コンピュータサービス株式会社(現在 SCSK株式会社)と基本契約
1989年12月 株式会社日立西部ソフトウェア(現在 株式会社日立ソリューションズ)と基本契約
1990年08月 自社事務所開設(大阪市淀川区西中島6-8 花原第1ビル)
1993年06月 事務所移設  (大阪市淀川区西中島7-8-34 第2スエヒロビル 4F)
1998年04月 新規卒業者初入社 社員数10名超
2005年12月 事務所移設 (第2スエヒロビル 6F)
2006年07月 事務所拡張 
2011年03月 東京事務所開設 (中央区八重洲1-5-3)
2012年07月 東京事務所移設 (中央区銀座6-17-2)
2013年11月 東京事務所移設 (中央区築地4-7-1)
2015年04月 京都事務所開設 (京都市下京区七条通新町西入ル)
2015年10月 東京事務所移設 (中央区銀座6-16-12)
2016年04月 京都事務所閉鎖 (京都市下京区七条通新町西入ル)

ドイツ文学科に学び、大手書店で社会人のスタートを切った、木村社長。コンピュータ創世記からIT業界に関わり、大阪から東京まで、各企業に知識の架け橋をシステムで支えている。

専攻はドイツ文学
大手書店の経理部で、コンピューターやシステムに出会った

株式会社ナレッジソフトウェア/木村公一氏
株式会社 ナレッジソフトウェア
共同創始者/最高経営責任者
木村 公一氏
趣味 : 孫と遊ぶこと、旅行、文学
尊敬する人 :ヘルダーリン、西尾出

ー 社長のご経歴を聞かせてください。

出身は京都、大学は東京で日大のドイツ文学専攻だったんですよ。卒論はリルケでしたから、完全なる文系(笑)。当時は就職難でしたが、本読みたさに大阪にある大手書店に入社しました。なのに、配属は「経理部計算課」という新設部署。私が大卒採用初ということもあり、IBM のマシン導入に先駆けてIBM で何ヶ月も研修を受けました。ただ、経理部署に配属されたことで、コンピューターやシステムの知識が身に付いた。結局その書店に5年ほどいて、東京本社で大阪支社のあるIT 企業に転職しました。

ー 起業までの道のりをお聞かせいただけますか。

IT企業に転職したものの、元々専攻が違うわけですから知識不足でとても苦労しましたね。初めての案件が超大手グループ企業の製造業だったんですが、正直3ヶ月位は全然わからなかった(笑)。「ライブラリ」の概念がもうわからなくて。その後、また社内分裂が生じて、10人位で新しい会社に抜けたんです。そのとき私は2番手の役回りだったんですが、ほとんど全部1人で営業しました。そのうち、また社内的に不満が生じてきて…。時期が整ったこともあり、“木村さん、独立しましょう!” の声に、ついに私も起業に踏み切ったわけです。スタート時はメンバー3名でした。1988 年、時代はまだコンピューター創世記。「30 万人プログラマー不足」とか「35 歳プログラマー定年説」なんて言われ、とにかく仕事はたくさんあったんですが、エンジニアの数が圧倒的に足りなかった。あの頃はまだ人との繋がりが強かったから、前職の大手クライアントさんからも随分声をかけていただきました。今の時代なら取引してくれなかったと思いますね。それと今思えば、結局私にはコンピュータの世界が向いていたんでしょうね。でなければ続かないですよ。修正したらすぐ直るし、きちんとやれば結果が出る世界です。

創業27年
人との繋がりに救われてきた

株式会社ナレッジソフトウェア/木村公一氏
本社は大阪にあります。今後は東京支社を強化していきますよ。

ー 創業27 年ですよね。起業から現在まで、成長要因や強みは何だったとお考えですか。

当初数年は順調に推移していた我社も、IT バブルの崩壊やリーマンショックも重なり、紆余曲折、大変な時期もありました。運がよかったのは、リーマンショック時の助成金などで救われた部分もあったんです。その後何とか黒字を重ね、東京へも進出し、気がつけば27 年…現在に至っています。成長要因はずばり、人との繋がりですね。「どうしよう」と思ったとき、結局、創業時からお世話になったお客様や、今まで関わった方々に救われて、今があります。業種としての強みは、金融系や公共介護系などの多くの実績と人脈です。また、社員教育もノウハウをしっかりと共有できるので、PG からPM へのキャリアアップが実現できる環境を用意しています。

ー 社名に込められた“識” のこだわりとは?

会社を創設する時、尊敬する社長の社名が「ナレッジインダストリ」という会社だったんです。そこから“ナレッジ“という言葉をいただき、知識の“識“と紐づけました。つまり、「専門領域を持つ知識集団が、真のプロフェッショナルなサービスを提供する」という想い。知識とお客様をシステムでつなぐという意味です。今後は東京を中心に、金融系、Web 系、インフラ系の3本柱として強化していきたいですね。それから女性の進出や、意外なようですが、若くてもCOBOL や汎用機の経験があるといいのでは…と思います。人材としては、やはりコミュニケーション能力が高い方を求めています。